テスト
今年もよろしくお願いします.RSSフィードがなくなっていたようでした.すみません.復活させます
先日、Google Image Labelerという他人とゲーム感覚で、画像にラベルを貼る仕組みが公開された。このGoogle Image Lablerだが予想通りの展開だ。でも、ちょっと下品じゃない?
以前(この前の記事)に書いたように
知覚-行為デザイン論: Googleはユーザインタフェースの企業でしょ?
このGoogle Image Lablerは、『いかにしてユーザの手によってデータの意味づけを行うか』をインタフェース的に解決しようとしているかが丸見えのアプリケーションといえる。
え、ロングテールとか、新しい経済のモデルとか、そんな話もあるけど、Googleはインタフェースとインタラクションの企業でしょ?って思うわけだが。
AJAXがすごいとか騒いでるのは、ちょっと悲しい。それより、なぜGoogleは、ブラウザ互換など問題にあふれるJavaScriptを駆使して、AJAXを使うのか?そこを考えるべきだ。
当然だが、ユーザインタフェースの話は欠かせない。そして、なぜユーザインタフェースにこだわるのかも考える必要がある。
単純に、使いやすい!便利!をねらっているわけではない、のがたぶんGoogleの戦略だと思っている。
コンピュータと認知を理解する―人工知能の限界と新しい設計理念
ソフトウェアの達人たち―認知科学からのアプローチUIのデザイン実はみんな「ふつう」がすきだ.奇抜で目新しいインタフェースは最初だけは着目されるが,生き残るのはその環境になじんだインタフェースである.
ふつうのボタンのオブジェクトを使い,ふつうのプルダウンメニューを使うということだ.つまりどういうことか.WindowsというOS上で使われ るソフトウェアを目指す限り,Windows上においてふつうであることが重要になる.目新しい新しいインタフェースは着目されるが,使われない.これは ある意味で悲しい現状だが,ふつうということこだわることで新しい?UIの可能性がみえてくる.
たとえば,Flashがなぜ嫌われるか.それはいくつかの理由があるとは思うが,WebでふつうなのはやはりHTMLでレンダリングされたものなの だ.みんなそれがふつうだと思っている.一方テレビゲームの世界はカラフルで動き回るのがふつうだ.そこにたくさんの文字が並び,Webページのようで あったらそれはうんざりしてしまう.
デザイナー深澤直人は,「ふつう」をデザインするという.彼はその場所・時間すべてを考慮して,ふつうをデザインする.「なんだふつうじゃん」それはほめ言葉だという.「じゃあ,いらないか?」というと「いや,いるいる」というようなそういったデザインがいいという.
ソフトウェアのUIも実に似ている.むしろ,実世界より「ふつう」が好まれる世界ではなかろうか.深澤直人の考え方でUIのデザインをするのであれ ば,もう何もデザインする必要はない.そこにあるUIコンポーネントを使えばいいだけだ.いわゆるプログラマーががんばってデザインしようとすればするほ ど,それは醜くなることもよくある.個性が表れるUIはよくないのである.UIが環境であるかぎり,個性の存在は「ふつうではない」ことでしかない.
もちろん,WindowsのUIがすばらしいということを言っているのではない.そして目新しいインタフェースが悪いといっているのではない.目新 しいインタフェースが「今」「この場所」においてふつうではないということが問題であり,WindowsのUIがふつうになってしまっていることが問題な のである.これは普及や社会経済にも絡んでくる問題であり,個人ではどうしようもない問題である.
「良さ」の定義は実は環境がかなり依存しているのである.
もし,新しいインタフェースを売り込むであれば,状況もいっしょに提供することが重要になってくるだろう.あるいは,専用端末として売り込むほうがいい.それがふつうであるということをセットにして売り込むことだ.
実は,Memoriumも「ふつ う」への対策を考えていた.それは「全画面」表示という戦略である.もうあなたのPCはWindowsではなくMemoriumなんだ.どこにも Windowsのウインドウなんて見えない.Memoriumというハードウェアが目の前にあるんだ.というふうに思わせる.Windowsの中で使って もらうソフトウェアではなくて,Memoriumを眺めてもらう.それがねらいだった.
全画面表示はある意味ではWindowsのふつうを乗り越える方法だ.しかしそんなリッチにPCを使う人間なんて今はいない.Webをみなくてはな らないし,メールだってしなくてはならない.そもそもマルチタスクという概念が根底にあるわけだから,どうしようもうない.そう簡単には「ふつう」を乗り 越えることはできないのである.
実はMemoriumは公開する気は全くなかった.「これは日常的に使うソフトということ考え方だけど,これは今は流行らない」ことは直感でわかっ ていたからだ.ただ,中には専用PCを用意していただいた方もいるようだ.それは本当にすばらしいことだし感謝している.専用化する機器が格安に手に入る 環境になれば,状況は変わると思う.
使えるデザインとはWindowsを理解することだ.Windowsを使っている人をよく理解する.マウスとキーボードをよく理解する.じつはそういうことである.
開発者は心からユーザーに合わせたいのであれば,Windows(OS)に合わせなければならないのである.実世界はだれの所有物でもないから環境 に合わせるというのは美しく理想に感じさえする.しかしWindowsはMicrosoftがつくった環境である.そこに合わせるのは不満さえ感じてしま うが,ユーザビリティとは己の投入ではなく,己を消すことである.
Windowsなんかだめだめだ.Microsoftなんて大嫌い?もっと革命的なソフトウェアを使いたいんだ.俺はよく新しいかっこいいソフトを注目している!そういう人は少なくない.
ほほう.
あなたの選んだフリーソフトウェア,お気に入りのソフトウェアをみればよくわかるはずだ.いかにWindowsという枠組みからはみ出さず,余計な ことをしない,よりWindowsらしいソフトを使っているかを.なんだ,ふつうじゃん.もちろん,あなたはまったく悪くない.
Flashのようなグラフィカルで動的な仕組みをRIA(Rich Internet Application)というわけだけれど,最近JavaScriptなどを利用してグラフィカルでこれまでのWebとはちょっと違う情報提示やインタ ラクションを可能に方法として,Ajaxというのが提案されている.
Web技術の進歩からみれば,正当な進化だといえると思う.これが,より使いやすくなってくればとてもありがたい.これで自分自身もFlashではないものを利用してWebブラウザ内のインタラクションの工夫や,アプリケーションができるようになるかもしれない.
FlashにしてもAjaxにしても,技術的視点に立てば確かににリッチといえるんだけども,人間にとってそれがリッチであるのかどうかという点は 別問題だと思う.これは常にUIで問題で,たぶん常に難しい.FlashやAjaxの登場によって,たぶん人間様側からみれば,ようやく普通になってきた というくらいで,そもそもこれまでのブラウザが,PIA(Poor Internet Aplication)といふうな視点でとらえることができるかもしれない.TVゲームに慣れ親しんできた世代にとっては,今のブラウザは図書館の検索シ ステムの延長くらいにしかみえないんじゃないかと思う.
ゲーム世代にとってみれば,パソコンというきっとゲーム機よりもっとすごいテクノロジーに,ゲーム以上の期待をしてしまう.裏でネットワークがある とかないとか,裏側の仕組みの部分をのぞいて考えれば,つまりユーザが直接目にするものに関しては,ブラウザは,文字だらけで,あくまで画像はおまけ.と にかくヴィジュアル面ではとてもPoorなんだと思う.
常にTVゲームには注目しているが,TVゲームは常にヴィジュアルと操作を優先に開発され続けてきた.それがたとえ,エンターテイメント向けであっ たとしても,開発のターゲットが常にユーザに向いていた.あんなシンプルなハードウェアにもかかわらず,今のPCやWWW以上に「多彩」なこと(たった数 個のボタンで,ゴルフも車の運転も,格闘だってできる)をやりのけてきた.それは,裏の仕組みもあるだろうし,それ以上にユーザにもわかる部分でもやって きているから驚きだ.
残念なことに,TVゲーム業界はこんなにもRichな仕事をしてきたのにもかかわらず,それが方法として確立していない.言語化,体系化がおこなわ れてない.エンターテイメントということだけで,やってきた方法に着目しスタンダードができることは結局なかったようだ.(だからこそ柔軟なのかもしれな い.また暗黙的なスタンダードはあったかもしれないが.)
やや話がずれてしまったが,FlashやAjax,その他のRIAとよばれるものの登場は技術的には大歓迎で,自分も助かる.進歩は確実に進んでい る.しかし,それだけではなく,同時に人間にとってのRichということも検討しつつ,それを中心にした技術開発でもあってほしい.また,できた技術を活 かすのはUI研究者,心理学者,あるいはデザイナー出番なのかもしれない.
Richになるインターネットのアプリケーションではなく,人間をRichにしてくれるインターネットアプリケーションの創らねばならい.(というわけでAjax調査中.)
PSPを買って以来,久々にゲームをしたという感じがした.一方もうゲームしている感覚以上に興味深い事実が目の前にあってそっちに興味がいく自分.
買ったソフトは,レースゲームとゴルフゲーム.
ぜんぜん違うはずなんだけど,自分がやっていること,指がやっていることは同じだということ.ほとんどタイミングをとっているだけにすぎない.(PSPだと画面のとなりに自分の指が見えて,画面の中で起きていることと,指がやっていることの違いに驚くわけだ)
たった数個のボタンをタイミングよく押しているだけで,自分はものすごい体験をしている.で,たぶんいままでのゲームのジャンルからみて,たいていこの数個のボタンで人間が実世界でやっているようなスポーツや文化的活動ができてしまう.なんでもできまう.
画面をそのゲームおのおのの特性のに合わせてボタンを押す(入出力同時になってる)ことでその世界が理解できる.その中での自分も理解できる.操作することで,自分と世界の境界がわかり,さらに関係がわかる.
たった数個のボタンだけれども,ほぼ日常と同等レベルの(車を運転したり,ゴルフしたり)インテリジェントなことをしている.
人間の身体も,自由度という点だけがゲームと異なるだけで,脳はほとんどタイミング制御なんじゃないかと思う.身体と環境間の制御がメインの役割で,その関係のなかに知性があると.
それと,ゲームのコントローラーはボタンが十個くらいついているけれど,たぶんボタンは1つでいいと思う.
全部ヴィジュアルにもたせて,ボタンは1つでゲームやその他の操作は成り立つと信じている.
talbyはMarcNewsonによるデザインだ.一方INFOBARは日本人,深澤直人によるもの.デザインされたものをみれば,「きれいな携 帯,かっこいい携帯でしょ?」ということには変わりないかもしれない.しかし,MarcNewsonと深澤直人とはまったく違う哲学があるように思う.
それはデザインの方向性だ.talbyは,デザイナーというよりアーティストの作品という感じだ.MacNewsonがデザインしたということをか なり前面に押し出している.壁紙も,MarcNewsonのサインのものがあったり,本体の横に彼のサインが入っている.talbyという名前は,ある キャラクターからとったものであり,そのデザインとのつがりがあるわけではないようだ.あくまでブランドとしてはMarcNewsonである.
デザインそのものも,MarcNewson的なシルバーをベースにした,デザイナーの特徴がよく現れたプロダクトデザインになっている.
一方,INFOBARは,INFOBARというブランドは持つとしても,深澤直人の名前は携帯の中にはでてこない.彼のサインもない.なぜなら,本 来INFOBARはユーザが自由にボタンの色をレゴブロックのように変えられるというコンセプトであるからだ.INFOBARという名前もデザインとつな がりのあるものだ.
また素材も,基本はプラスティックだが,ボタンのふくらみはやわらかさ,や張りを感じるデザインになっている(どうやらかなり成型の部分が大変だったらしい).
ともにプロダクトデザイナーではあるが,方向性,考え方に大きな違いがある.完成度やクオリティという意味ではどちらもハイレベルなものであること は間違いない.これからの基準は,プロダクトの質は当たり前として,「モノではない部分」のデザインが重要になってくるのだと思う.