2008-08-23
[長年日記]
アプリケーションの研究
アプリケーションを研究している研究室,研究機関が少ない.アプリケーションを作っている会社はあっても,それはあるインフラあったうえでのアプリケーションである.だからこそアプリケーションと呼ばれるのかもしれないけど.
僕がつくるのもアプリケーションなんだけど,コンピュータテクノロジーの応用として,考えるという感じではない.コンピュータの応用ではなくて,人間の活動という高度な仕組みをどうやって拡張したりアップグレードしたりするかということ.
つまり,人間のほうがよっぽど高度なわけだから,人間というテクノロジーはいったいなにができるんだろうって考える.それが面白くて,HCIの研究している.
ただし,人間というテクノロジーは環境と密接に関係しているから,モノ側の性質を知ることも必要で,「モノ⇔人間」の相補的な関係によって実現する何かをさぐらないとならない.だから,別に認知の研究で済む訳じゃなくて,設計の研究になってくる.
たぶん,こういうのがインタラクションデザインなんだと思っているんだけど,どうも世の中のインタラクションデザインというのは,人間の操作とコンピュータの反応を楽しむみたいなところがあって,深い話にならないことが多い気がする.逆に深い話になると,社会学とかそっちだけになっちゃって,モノの設計の話あまりはいってこなくなってしまう.で,絶妙なところを人工知能系の人がやってたりするんだけど,妙に記号化にはしったり,モデル化に走る.で,結果的にアプリケーションレベルのならなかったりする.
モデル化してうまくいく部分はいいし,モデル化も必要で,基本はそう考えるんだけど,人間にあるモノを与えたときに,想定外な行為が面白いのであって,想定外をモデル化というのは矛盾する.ただ,モデル化するからこそ想定外が際だつというのもあって,微妙なところ.
- 各種フィールドの主観的評価(すごい,つっこまれそうで怖いけどw)
- インタラクション系→バックグラウンド微妙,アウトプットはまぁ面白いのもある.
- 人工知能系→バックグラウンド目標は面白い,アウトプット微妙
- 認知系→フィールドによる.話はおもしろい.目標は不明(広すぎ).研究は手堅い.
- メディアアート→コンセプトもアウトプットも面白いものが多いけど,目的がアート.
ちゃんと表にできそうだけど,まぁ,ゆるく笑.かなり思いつきで書いてます.
2008-08-06
[長年日記]
夏休みというボーナス
大学生活は人生の自由時間みたいなものだ。 その自由時間に「夏休み」なんていうボーナスがある。
お金はもらえなくても、時間がもらえるのである。 大学生はこの意味を深く考えないといけない。
学生によっては、たくさんバイトをして、 この時間をお金に変える人もいる。 それもいいだろう。
でも、自分の場合大学はいってから、 夏休みというボーナスは、わりと学びの時間として使うようにしている。
お金を得ることは、きっと社会に出てからできるだろうから。 という理由だからだ。
大学1〜3年くらいまでは、学びが中心だった夏休み。 4年くらいからは、研究や生産の時間にかわりはじめる。
大学生の長期の休暇は、ボーナスと同じで、2回訪れる。時期は違うが、夏に加えて、春休みである。
大学4年間、全8回の休みを勉強や学びに使うと、そうとうなスキルアップにつながる。しかもそのスキルアップは今後一生使えたりもする。
ただ、その休みをうまく使うためには、ある種の目的がないと、ダラダラしたり遊びまくって終わってしまう。ボーナスとはいっても、使わないと一定の速度でなくなる。貯金できないからそこは注意が必要だ。
夏休みは研究がすすむ。考える時間ができるからだ。
「研究」や「発想」をするための時間は 1時間や2時間ではだめだ。
コンビニのバイトなら、1時間や2時間でもできる。細切れでもできる。結果得られる、給料はその合計だから不満はない。
でも研究や発想の時間は違う。1時間あっても、事務処理程度だ。 最低で6時間同じことを考え続けられるくらいないと、だめだ。
もちろん椅子に6時間すわっているわけではない。
合間にバイトなど他のタスクを入れてもいいかもしれないが、重要なことはそれによって疲れてしまうと、発想するような体力が残らない。発想や研究的な思考はかなり体力や精神力を要する。
1日中、「考える」時間をつくらないと、なかなか進まない。本当に、そのことだけを考える時間が重要だ。
もちろん、1日中考えるだけでおわることもある。ただ次の日にその考えた充電によって、進んだりする。これは予測不能だ。
この不確実さが、時間の作り方、計画の立て方を難しくする。 計画っていうのがたてられない。
たくさんシフトをいれれば給料がたくさんもらえるという構造とはここが大きく違う。研究や発想に使う時間は、予測不可能だから、2,3日まとめて時間をとるようなことをする。あるいは、なるべく大学に行くようにする。など。
発想や研究促進のチャンスが得られるような時間をつくったり、空間に移動しなければならない。
研究室でも、よく研究室にきている学生とそうでない学生で、修論の出来具合が違ってくる説が生まれている。研究室にきて、べつに常に研究しているようにみえなくとも、単純に遊び?にきているだけいい。それでも違う。
だから、仲の良くない研究室はよくないじゃないかと思ったりする。 そういう意味で、研究室での打ち上げ・懇親会とか、遊びも重要になったりするのだろう。
研究や発想は、とくに発想は机の前じゃなくて、歩いているときなど外出時とはいうが、やはりこれもよく言われることだけど、研究活動が日常の8割くらいあったうえでのことだと思う。日々考えないとだめだ。
片手間で研究や発想はできない。 だから、夏休みじゃないと実際、研究や発想、創造活動は進まない。
夏休みが終わると、その成果という別の次元のボーナスがやってくることもある。これは富であり、お金に換えられないものとなる。あるいは、お金の源になる。
社会にでたら、これはかなりきつくなる。 ボーナスというお金で我慢するかない。
大学生のうちは、時間のボーナスを有効に活かしたいものである。
2008-05-22
[長年日記]
(実験映像作品) エコロジカル リアリズム
TextureWorld
久々にMediaLabを更新しました。
大学の教育体験で、ギブソンの生態心理学の肌理の話を伝えるために、前日に6時間くらいでFlash映像作品をつくりました。シナリオとかあまいです。最後ははちゃめちゃです。
環境は肌理でできていて、動くことによって縁が発生し、物の単位を識別できる。そして、動くからこそ知覚できる。
右クリックすると、たぶん画面描画だけは停止するので、そうすると縁は消滅し見えなくなると思います。
映像だからこそできる体験で、 カメラで(静止画)では縁を撮影することはできません。
だから、どのシーンのサムネイルでも、映像で得られる体験を表現不能なのです(笑
でも、動物の視覚体験の本質はこういうものです。 (錯覚ではありません)
もとえ [ごぶさたしています
おもしろいですねえ
私の講義でつかってもいいでしょうか?]
Keita [お久しぶりです。はい、肌理の作品として紹介してしていただけるなら、どうぞつかってください。]
もとえ [ありがとうございます!]
2008-05-07
[長年日記]
またリファレンス本.
ActionScript 3.0 逆引きクイックリファレンス Adobe Flash CS3対応(田中 康博/林 拓也)
これもよさそう。前にリファレンス買っちゃったけど、中身によってはこっちも買おう。1冊は大学用にするということで。
2008-04-23
[長年日記]
2008-04-13
[長年日記]
ノートは情報を記録するものではなく、展開するものである
パソコンへのメモ、紙へのメモ、どっちでとるか。なんて悩むことが多い人は多いと思う。私自身も、もう全部パソコンでやるぞ、とかPDAとか買ったりしたこともあった。
でも、だんだん気づいて、ノートにメモをとることは、記録だけが機能ではないということだ。つまり、「その時考えていることを、書き出して、俯瞰する」「思考の客体化」という機能も紙に書き出すということには含まれている。記録という意味では、パソコンのほうがよい。検索できるからだ。
しかし、考えを一気に書き出し俯瞰してみるのには、パソコンより紙のノートのほうがよい。理由はいくつかあるが、やはり一番の理由は操作がマウスやキーボードが不要で、ペン1本と紙ですみ、かつそれでいて様々な図や線が引けることだ。文字の入力の切り替えも考える必要がない。大きさも、サイズを指定など考えることもなく、大きく書けば大きいのである。
タブレットPCや、タブレットデバイスを使えば近いことが実現できるかもしれないが、やはり画面の広さが問題だ。バッテリやそのデバイス自体の重さなど、価格が高いわりに、紙より機能が劣ってしまう。
そもそも、記録が目的でなくなる時点で、PCを使う必然がなくなる。PCを使う理由は主に記録だからだ。
ノート選び
情報の記録が目的ではなくなると、ノートの選び方もすこし変わってくる。
たとえば、サイズだ。サイズはできるだけ大きい方がいいと思っている。だからノートはA4を選ぶ。持ち運ぶには少し大きいかもしれないが、情報を展開するためには、A4くらいあったほうが気分がいい。それに、他人と情報を共有する、つまり見せるときにもA4くらいあるといい。あとは2人で書き込んだりするのにもいいかもしれない。私の場合、A4のノートを横にして使うことが多い。人間の視野角が横の方が広いからだ。つまり、記録が目的ではないので、俯瞰しやすいほうがいいからだ。
私自身は紙質にこだわりが、あったのでLIFE社のノートを使うことが多かったり、あるいはマルマンのルーズリーフ(無地)を使うことが多かった。そんななか、マルマンから、ニーモシネというノートが登場した。
ニーシモネは記憶の神様が由来らしいのと、コンセプトに記録することが入っているのが、個人的には残念だが、A4横のリングノートがあったり、マインドマップを書くとかそういったコンセプトはすごくいい。さらにマルマンのため、紙の質もいい。
他のこだわりとしては、ペンだ。ペンは書こうとしたときにインクがでないなんてことは最悪で、必ずインクのでるペンを使っている。パイロットのVコーンが直液式だし100円だし、多くの文具店でおいている。あとは太くて黒の色の濃いペンもすきだ。
産み出すためのノート
「情報を展開する」ということを目的と考えると、とにかくPCがプアー過ぎて、使い物にならないと思っている。ブログ、ライフログなど記録ブームではあるが、記録より、生み出すことのほうが重要なはずだ。良いモノ生み出した結果を記録することが重要であり、記録が蓄積されたからといって、勝手に良いモノに変化するわけではない。変化させるのは自分自身である。とすればやはり、展開性能が重要であり、自分とそのツールの相性みたいなもの、やはりインタフェースの向上が生産の鍵である。
PCは何に使うか
その結果を記録すればいい。きれいにまとめたりすることには向いているし、あとで検索もできる。
でも、ユーザインタフェースの研究者としては、ゆくゆくは、融合させたい。今日のPCは、情報を展開させるアプリケーションやデバイスという方向性はあまり感じられない。まだまだ研究することがいっぱいある。前につくったMemoriumは情報を展開するアプローチのひとつだが、あれは展開という意味では自動展開なので、マニュアルな展開を支援するアプリケーションもつくっていきたい。
2008-04-10
[長年日記]
2008-04-09
[長年日記]
RD潜脳調査室
2061年、人間の意識同士を繋ぐことのできる理想実現を期待されたネット社会だったが個々の記憶の流出、記憶の改竄など新たな社会問題が現象化しているにも関らず、人は尚、取り交わされる情報をネットに依存し、ネットからの離脱を選択することはできなかった。
こんなのがはじまるのか.
と,それはともかく,2061年という設定とこの内容.なんか最近SFってもっとぶっ飛んだのないものか.どのSFも似たようなのばっかり.
脳とか心とか個人の精神世界とか,さらに電脳世界とか,インターネットにプラスアルファしたようなものとか.まだ宇宙関係のSFのほうがおもしろいかもしれない.
でももっと違うSFもありじゃないのか.
「心」があるとしてきた人間社会が過去のものになっていて心に変わる何かを信じて生きるせかい.脳は思ったほどの機能はなくて,脳とネットをつなぐような話が馬鹿げていた!とか.
ロボットが高度化すると思いきや,心のモデルが破綻したことで,おもちゃ程度で,邪魔な存在でわるとか.結局,自動車の技術の拡張に応用されるだけとか.
デカルト以来のながーい心ブームがおわるとか.
ブレインマシンインタフェースは,実現し,脳の信号からデバイスを動かすことができるようになる一方で制御が難しすぎて,危険なので訓練10年以上の訓練と,免許制になる.障害者限定とか.またブレイン接続時は飲酒は禁止になる.また,やたら疲労し,連続動作が難しくなる.疲れをとる方法研究されるが難解なものとなる.
たとえば,動物用インタフェースができて,動物が機器を操作動物が人間社会とコラボレーションするとか.人類だけじゃなくて,すべての動物が地球を構築にかかわるようなせかいとか.
ロボットの代わりに,人間の知覚能力が拡張技術がでけいて,周囲数百メートルをはじめて,世界を瞬時に知覚できるようになるとか.これはネットワークが使えばできるだろうし.あとは情報提示とインタフェース.
データを記録が膨大になり,あまりに膨大すぎて活用できない.あまりに膨大すぎて価値がなくなるとか.蓄積に価値がなくなり,リアルタイム前後最高1週間くらいの情報の活用性能を向上させるとか.つまり,蓄積というより,日々活用することで情報が変形していく情報流通が主流になる.つまり,過去という考え方がなくなる.今に過去が含まれるので.
なんでもできそうだけど,もっと違う道をたどる未来感がみてみたいなぁ.
いま,進行している技術や考え方を一度,否定し,その状況を仮定したうえで,あたらしい別の何かを考えてみるのもたまにはしていいよねぇ




