アイデアは間接努力でつくる。

勝手に部屋は散らかるのに、勝手に仕事は片付かない。

これは重要なことだ。つまり、どちらも「自分でやっていることなのに」だ。

ここにユビキタスの本質がある。そして、アイデアに出会うための戦略がある。

いつのまにか散らかっている机、部屋。私は、この「いつのまにか」の力を自分にプラスに働くようなシステムをつくりたいと考えてきた。たとえば、いつのまにか、「ある英単語」を覚えている。そういう世界だ。

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Memoriumは眺めるインタフェースという提案をした。眺めるインタフェースというのは、持続的な情報提示が可能にする、生活のすきま時間を利用して情報を獲得していくインタフェースだ。

たとえば、メインタスクがある場合でも、それ以外の周辺の物を視野に入らないように遮断するような環境を作り出さない限り、周辺にあるほかの物が必然的に視野に入ってしまう。また、人間 はさまざまな原因(たとえば、水を飲む、トイレにいく、など)で移動する。そういった移動する際においても必然的に周囲の情報が入ってきている。これらの状況を積極的に利用していくことが眺めるインタフェースである。

Memoriumは、自分の興味のあるキーワードから勝手にさまざまな自動的な組み合わせをつくり、検索を永続的に行い、それをユーザに持続的に提示する。それによって、「偶然」情報に出会う(=遭遇)機会を提供することがコンセプトになっている。GoogleやYahooなどの検索インタフェースは情報要求(○○を知りたい)が明確なものの検索に向いているが、その○○が言葉にできないと検索することができない。また、当然だが、キーワードを入力して「検索」しないと情報に出会うことすらできないのである。

一方日常生活は、偶然にあふれている。たとえば、本棚から本を取り出そうとするとき、目的の本が明確であっても、その隣にある本も目にはいる。本を取り出して、机で読み始めて、ちょっと休憩でその本を置く。たまたま買った本が机にありそれが目に入る。

など、日常生活は真っ白な空間ではなくて、床から壁といった素材的なものから、食べ物や本、音など、臭い、さまざまな具体的な情報で満たされている。そういった情報で満たされた場所のなかで人は、座る位置を変えるだけでも、得られる情報は変わるし、やってくる情報の価値も変わってくる。日常はちょっとの活動で、環境から多種多様な情報が現れてくる世界なのである。

しかし、PCのインタフェースはまだユーザの目的に応じることが最優先事項である。もちろん検索エンジンも、結果を上から順番に見たり、リンクをたどる中で、さまざまな情報に遭遇することはあるし、家の中で生活していて偶然出会うような情報とはまた違ったものが得られるメリットはあるかもしれない。だが、基本的にはユーザのモチベーションがあって、自らの操作によって情報をたどっていくというスタイルである。

日常生活のような遭遇の性質とWebの無限にリンクされた世界をうまく結びつけたい。あとあと考えてみれば、Memoriumにはそういう想いがあってつくられたものだと考えている。

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このブログでは、何度か「アイデア」について書いたことがあったが、アイデアは努力しても生まれない。かといって、努力せず何もしくても生まれない。

「よし、今からアイデア出すぞ」といって思いを巡らして、考えたことをリストアップしたとしよう。それを「直接努力」と呼ぶことにする。でも、それで皆がアイデアを生み出せれば、世の中苦労はしない。

アイデアは、ふとした瞬間に思いつくなんていう話はよく聞くし、実際自分自身も、机の前にいるときより、買い物にでかけている最中によく思いついて、携帯で自分宛にメールするなんてことが多い。

アイデアはそうした机の前で力んで出す、直接努力が難しいのならば、では、「ふとした瞬間に思いつくというのがどれだけ訪れるか」が重要だということになる。

これを積極的に作ろうというのが「間接努力」である。たとえば、日常生活で、よく「忘れないように」メモを壁に貼っておくことがある。これは、偶然目に入る機会を利用 して「忘れてしまうこと」へ前もって備えるためのものである。この行為は自分の後の「遭遇」に期待する行為である。じつに面白い行為だ。これは、直接努力ではない。「環境の持続する性質」を利用している。

明日使うから、忘れないように貼っておくレベルのメモもあれば、ちょっと思いついたアイデアを貼っておくこともあるだろう、そして、思い出の写真を貼っておくなんていうこともあるだろう。

こういった、環境を構築し、その中で情報に「遭遇」するための努力が、間接努力だ。間接努力をすることで、そこで生活することによる、情報との遭遇の可能性を高められる。間接努力はもっとわかりやすくいえば、インテリアにこだわることにも近い。つまり、部屋のインテリアは、そこで何をするのかを規定し、活動に選択圧を与える。ユーザはとくに努力することもなく、大きなソファが部屋の真ん中にあればくつろげる空間になったり、机と椅子が真ん中にあれば、自然とそこに座る可能性が高くなり、デスクワークに適した活動を行いやすくなる。これは可能性でしか語れないが、部屋のレイアウトをすることは、モノによる行為の選択圧をコントロールすることで情報との遭遇のバランスを調整する作業である。

話は最初に戻る。部屋は勝手に散らかるのも、散らかるのはそこに移動可能なモノがあるためである。そしてその移動は一人で暮らしている限り、自らが行っている。言い換えれば、散らかった部屋は、自分でやったという事実を考えれば、作品または仕事の成果なのである。無秩序にみえるその部屋は、知性のかたまりである。なぜなら、犬やネコにはこのような散らかし方はできない。重なった本屋雑誌、ペンなど微妙なバランスとレイアウトで散らかっているのだ。

ここで考えなくてはいけないのは、その自らが勝手に行っている散らかりがもう少し体系的に、構造的に行えるような部屋のレイアウト、システムをつくれたら、部屋はもしかしたら散らからないかもしれない。勝手に散らかるように、勝手に情報が処理されたり、いつのまにかもっと情報に出会うような状況がつくりだされるかもしれない。

いつのまにか、人間が強化されている世界、間接努力がデザインされた世界。それが新しい情報システム、インターネットの世界だと思っている。

* 途中の写真は小石川後楽園にて撮影した池の鯉と、桜。本文とはとくに関係ないです(笑

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  • 渡邊恵太

    インタラクション の研究者。

    明治大学 に開設される 総合数理学部 先端メディアサイエンス学科の准教授。近著に「融けるデザイン -ハード×ソフト×ネット時代の新たな設計論

    知覚や身体性に基づくインタラクションや、生活時間に溶け込む次世代メディアインタラクションの研究。

    2004年くらいからたまに書いてるブログ。

    現在のプロジェクトはWebトップページを。