未来のアプリケーション

といったとき、何を想像するか。 

最近の問題意識は、日本も世界も「アプリケーション研究」の遅れ。 
コンピュータを何と見立てるか。何なのか。どう使うものであるか。という定義に関して、新しい提案をあまり聞かない。 

アランケイはコンピュータをメタメディアと言っていたけど、 
http://www.ijinden.com/_c_05/Alan_Curtis_Kay.html) 

メタメディアであることを知った上で、「これは○○で、こういう使い方をするんです」というような、魅力的な「定義」がすくない。 

「こういう使い方をするんです」という話で、ちょっと面白いのはあるかもしれない。でも、そういうのはもういい。いま必要なのは、Whatのほうで、Howじゃない。インタフェースやインタラクションの研究者はHowをよく考えているけど、ぶっとんだWhatがあれば、徐々にHowもぶっとぶ。 

では、HowじゃなくてWhatが重要ならばコンテンツが重要ということか?というと、コンテンツは重要なだけども、まだ体験したことのないコンテンツを提供することが重要。 

光ファイバーで高画質の動画とか流しちゃえばいいんじゃない?みたいなのは、提案になってない。定義でもなんでもない。置き換えサービス。 

そんなサービスをけっこうな金額で提供するんだから、そりゃみんな納得しないし流行らない。 

定義力のなさの問題は、やっぱりまだ発想が技術より過ぎる。「この技術を使って○○できないかな?」という発想がまずい。人間とはなんぞや、社会とはなんぞやを知る術をもった人材が必要。IDEOは人類学者を重宝しているようだけど、その類の人材が必要。それでいてテクノロジーもそこそこ知っていることも必要。 

あと、マーケッティング系もだめ。市場なんか調査してたら、むしろ身動きとれなくなる。マーケッティングが必要だとはいえ過剰に重視するのはだめ。企業はそれより、自社は「何者なのかの定義」を今の時代の文脈の中で再定義しないとだめ。定義して動いたあとに、マーケッティングするべき。 

2000年くらいから、エスノグラフィの手法も積極的に取り込まれてきている、この流れは、魅力的なアプリケーションの提案につなげて、そこから必要な技術を見いだそうという流れだと思っているけど、もうちょっとやり方変えないとエスノグラフィのやり方が開発に活かせない気がする。 

エスノグラフィはいいんだけども、何のためにやっているか。が重要でその文脈においてインパクトのある人間の再定義が必要。テクノロジーを知った上で、観察をすることが必要。そうじゃないと、ここであれが使えそうだという発想に至らない。 

twitterなんかはまさに定義力の例で、コンピュータを「つぶやく」装置、メディアに捉えて、その上で、若干のインタラクションデザインを施した。 

アクセスの分散とかそういう技術は裏ではがんばってるんだろうけど、やっていることは基本的にみんなでデータベースに書き込みあってるに過ぎない。 

定義のためにはヴィジョンが必要で、「何ができるか」じゃなくて「どうしたいか」。日本なんかは、「できる」企業はいっぱいありそうなものだけど、どうしたいかがイマイチ。で、そのどうしたいかは、根拠にマーケティングとかから引っ張ってきちゃったりで、ユーザの声をそのまんま鵜呑みにして、無難だけど魅力的でないものがでてくる。フラグシップモデルとか出すけど、せいぜい性能がいいだけで、なんだこれはと思うようなモノがでてこない。 

ユーザエクスペリエンスが重要という背景も、結局コンピュータは何でも表現可能なメタメディアであるからということで、インタフェースとコンテンツを分けない発想での開発を求める流れだろうと思う。 

これから、twitterみたいな、再定義してみることでヒットするサービスがもっと生まれると思う。そして、こうした再定義によって、枯れた技術でもうまく活用される社会になると思う。 

ちなみに、定義といったとき、「名前」が重要で、 
たとえば、コミュニケーションツールで、 

・電話 
・MSN Messenger 
・つながり感通信 
http://techon.nikkeibp.co.jp/members/01db/200107/1002497/
・遠距離恋愛支援システム 
http://rikunabi-next.yahoo.co.jp/tech/docs/ct_s03600.jsp?p=001370

下に行くほど、なんじゃこれは!?と思うかも知れないけど、定義力がすばらしい。いかに汎用的じゃなさそうな名前をつけるか。そんなところが重要。 

エンジニア的には、どれも大して変わりないし、生粋のエンジニア的には、下ほどあり得ないと思うでしょう。まあ、遠距離恋愛支援システムに関しては、もっと次世代の恋愛はこうなるくらいの定義をしてほしいけども(笑 

上ほど、技術を知っていればよくて、下ほど人間や社会も知ってなくてはいけない。 

たとえば、電話、コピー機、テレビ、ビデオ、カメラ、あたりは、昔はそれ自体がそれぞれアプリケーションだったけども、あまりに日常化しすぎたし、基本的な技術自体もそれなりに完成してきている。そのなかで時代も変化してきている。そのため、今の時代の文脈で次の価値を模索しなければならなくなっている。つまり、再定義の時代。2000年くらいから「デザイン」が流行ったのも再定義の流れ。リ・デザインなんていう感じで。ただ、デザインを見た目だけの話だと思っている人が多いらしいので、そこがあまり納得がいかない。 

なんか長くなったけど、がんがん定義して、モノに落とし込んでいきましょう。という話です。 

こういうのをアプリケーションデザイナーという職をつくって、広めたい。

(2009年08月13日05:16 mixi日記に書いたものを転載)

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  • 渡邊恵太

    インタラクション の研究者。

    明治大学 に開設される 総合数理学部 先端メディアサイエンス学科の准教授。近著に「融けるデザイン -ハード×ソフト×ネット時代の新たな設計論

    知覚や身体性に基づくインタラクションや、生活時間に溶け込む次世代メディアインタラクションの研究。

    2004年くらいからたまに書いてるブログ。

    現在のプロジェクトはWebトップページを。