2月22日:XD展2013 でトークします「インタラクションデザインの未来」

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1分じゃわからないUXをめぐる議論

注)個人的にはもう少し整理して書きたいのですが、夜の勢いで書きました。

前回「1分でわかるUIとUXをわかりやすく説明する写真とお話 」を書きました。

そして先日ごんざれふ の大坪さん(研究者の仲間)にブログで突っ込まれました。せっかくですのでブログの私もfacebookのコメントのところ(ブログトップページからでないと見られませんが)に書き込んだ内容をこちらのブログにも書いておくことにします。

透明なインタフェースという幻想

まあそれも一つの割り切り方と思うけど、なんだか変な気がする。「本当の問題」は何かを見極めるのが大切だ、と説いているけど、「本当の問題」か否かを決めるのはユーザの主観でしかないと思うんだけどね。

ATMで並ぶことを解決するには、、と問題を始めているがこれは「ユーザにとってATMは並ばず、素早く使いたいに違いない」という前提がある。これはどこから来たんだろうね?

ユーザの主観を勝手に推測しているに過ぎない、と私には思えるのだが。「主観は計測できないから扱わない」というのは、日本マクドナルドがレジにあるメニューをなくしたのと同じロジックだ。

私の返答

こんにちは。面白いですね。ちょっと考えさせれられました。

で、考えてみました。UXっていうのは「人間のUX」ではなく、ATMのUX、マクドナルドのUX、という「モノ側の主観」みたいなものだと思うんです。ATMがユーザの要求によってできあがったものじゃなく、あくまで「銀行が作り出した装置、サービス」です。

だから、設計をある価値に基づいて破綻なく一筋通すということが僕は大切だと思っています。そのときに大事になる発想がUXで、あ、だからら「ユーザ」っていうのはよくないのかもしれません。最高の、銀行体験、マック体験を突き詰めていくのが、企業のビジョンでありミッションだと思います。それに共感する人が顧客になる。

重要なことは、顧客は各銀行、各ファーストフード店を選べるということです。共感出来ない人は違う店を選ぶ。だから企業側に「エゴ」にはならない。マクドナルドは、素早く食べるという体験とビジョンを提示しそれが文化でかっこいいんだというビジョンを示していけばいいんだと思います。嫌ならロッテリアにいけばいい。

それで収益が下がれば、そのとき、そのビジョンは共感に耐えるものじゃないことがわかり、反省すればいいと思います。

ごんざれふさんも記事で書いていたような気がしますが、ユーザの言うことを聞いて反映することは必ずしもよくないですよね。ごんざれふさんは、Apple原理主義?だったかと思いますが、Appleはまさに自社の目指すビジョンを徹底して示し、それに共感する人が顧客になっているんだと思うのですが、どう思われますか。

これは、議論として面白いですね

と、このように私の考え方を書いてみました。その後、ごんざれふさんの次で記事で返信いただきました。

ごんざれふ
http://otsubo.info/blog/2012/11/post-645.html

企業としての信念を貫くということ

このコメント自体には全く同感だ。渡邊氏がコメントしてくれた通り、私はApple原理主義者であり、Appleはユーザの声を大胆に無視する。というわけでいただいた渡邊氏のコメントについては全面的に同意するのだが、元々の私の主張は少しずれたところにある。

「ユーザ体験は主観で扱いようがない」

これについても同意するのだが、だからといってすっぱり切り捨てていいのだろうか?という点にある。(中略)

>体験の原因のことをここではUXと考えます

ここは具体的にどういうことなんだろうね?

というように「ユーザ体験は主観で扱いようがない」という点への疑問が投げかけられました。また関連して「UXは体験の原因」ついては、twitter上で、専修大学の上平先生とも少し議論しまして、togetterにも少しだけまとめていただいています。

2012/10/31 UIとUX – 渡邊恵太さん(まもなく明治大学)と上平崇仁さん(専修大学) – Togetter

そして、アップルの設計の話を引用し、大坪さんの疑問、意見

ではAppleはどうやって設計しているか?シラーの言葉を借りれば

シラー まったく寸分違わない状態です。アップルは製品主導の会社です。我々がやっている仕事は、自分たちで欲しくなるクールな製品を作ること――自分の家族や友だちも気に入ってくれるような素晴らしい製品を作ることです。

via: フィル・シラー氏に聞く:アップル流イノベーションが大きく花開いた2010年(後編) (1/2) – ITmedia PC USER

ということらしい。自分たちで欲しいかほしくないか。友達が気に入ってくれるかくれないか。これは全て主観の話しである。そしてAppleはその主観を定量化するためにフォーカスグループを使ったりはしない。彼らは「人々の主観」については想像し、製品のあらゆる側面に対して「ユーザに代わって決断をし」その評価は売上に委ねている。

という話と渡邊氏の「主観は扱いようがない」「製品サービスの設計論であって、現状では笑顔自体や心象の話を直接設計する方法論ではない」という話はどう対比させればいいんだろうね。ここで渡邊氏が主張していることが具体的に何を意味するのかわからないので、之以上考え様がない。

こういった具合に議論が進みました。こういう議論の展開をみて分かるとおり、私は1枚の写真でドヤっと紹介しましたが、実際UXの本質を理解しようとするには、まだまだ考えることは多く、さまざまな事例をから理解してくことが必要であったりします。でもだから、UXが理解されないんじゃないかと思ってしまいます。

UIからUXへの流れを考える上では、UXはUIの前後を含む文脈程度の理解が最初のステップということで、ATMの例を私は出しました。UXについてそれなりに知識がある人なら「UXは企業価値そのもの」というような表現をする人も少なからずいると思います。しかしそれで設計ができますか?これは飛躍しすぎではないかと思っています。

企業戦略と入り交じるUX

少なくとも、2000年の13年くらい前にUX、まだUEとも呼ばれる頃から、UXの話は見てきましたが、当初は企業価値みたいなものまで飛躍はしていませんでした。もっとプロダクトに帰属する設計の考え方の拡張だったと私は認識しています。

そこにマーケティング方面でも「顧客経験価値」みたいな話が流行になり、入り交じったことが急に設計論ぽさが薄れていった感覚があります。よく出る話ですが「スターバックスの珈琲と、マクドナルドなどの珈琲は材料はたいして変わらないのになぜ値段があんなに違うのにスタバを選ぶ人も多いのか?→お客さんは珈琲にお金を払っているのではなく、スタバという経験・体験にお金を払っている」というものですね。

そうなると、さあ大変、急に設計が難しくなります。頭ではわかっていても、設計というほど方法論として確立していません。設計論より、分析論の話。あるいはプロセス論。それを含めて設計論なのかもしれませんが、WebのUIをつくっているような人にこれをいきなり求めるのは少々無理がある。(勉強しろっていうのは簡単だとしても)

だから、この背景を踏まえれば、今になって前回の記事の1分でわかるUXの話はちょっと端的に過ぎて、誤解を招くと突っ込まれるのも当然かもしれません。でも、いきなりこの方面からUXの話を長々と書いても、まず理解を得られないだろうし読もうともしないでしょう。なにより設計に落とせる発想に至らない。特に、コーンフレークでUXの例を示したあの画像をみて、この方向でUXについて議論されるのはまずいと思って、もう少し設計論としてわかりやすい画像を用意したいと思ったのが、記事のきっかけでした。

「環境に人間の心理の原因」を特定することが、よりよき価値、問題、アイデアに出会える秘訣

さて、こういった経緯の話は横へ置き、「主観は扱いようがない」と私が書いた理由について書きたいと思います。実はこれもごんざれふさんのブログのコメントにすでに書いています。

私の返事

すみません、返事書きたいけど、なかなか時間とれずw

すんごい雑に返信します。

雑に言いますと「主観って何ですか」みたいなことで、主観というゆるふわな感じは、「人間の脳は〜」って言って、何でも許されちゃう感じを危惧していまして、結局設計に落ちてこない。僕はギブソンの生態心理学系の発想なんで、人間の内部の心理みたいなものや、脳からは、極力考えません。なぜなら心はブラックボックス過ぎて、何でも言えてしまって、「ずるい」からです。すんごい極端にいえば、「ユーザの主観は作られている」といっていいくらいです。つまり、環境の結果です。これはたまごとにわとりの議論になり、答えは出ないかもしれません。また、近代は「欲しい物」は供給側によってつくられるという話すらあります。こういう「主観」の話をし出すと、哲学方面でさまざまな突っ込みが入ることが想定できるし、徐々に論点がずれてしまうので難しいです。なので、僕は「主観」は難しいから極力「主観に変わる方法」を探しているのです。だから「いわゆる主観」は扱いようがないというのです。結局、「立場と姿勢の問題」ということで落ち着かせるのがいいのかもです。

これらは、まだちゃんと整理できてないので、たとえばですが、私のユーザの主観扱いは、「そのユーザの主観がなぜ生まれているのか」と考えます。だから主観を扱うのではなく、やっぱりその原因、文脈です。「主観は扱いようがないので」と書きましたが、むしろ主観として扱うべきではない。と言った方がいいのかもしれません。主観を真に受けないように、観察手法として「言っていることではなく、やっていることをみよう」という方法論があったり、師匠弟子モデルでユーザを観察するという話がでてくることも関係しているでしょう。(注:色々書きましたが主観とは何かという議論は、進めてもあまり生産的でないと思っています。)

結局、私が心がけているのは「実際の設計に使えるかどうか」です。自分でシステムを実装するので、UX方法論はこうだと言われても、実装に結びつくアイデア、表現でなければ利用できません。私の立場と姿勢は、「環境に人間の心理の原因」を特定することが、よりよき価値、問題、アイデアに出会える秘訣だと思っています。

*なお、UXといえるかどうかは別ですが「日記のような主観的な文章を書くことから個人の価値を発掘する」みたいな方法もあります。これは多摩美の須永先生のワークショップでも経験しましたが、これはこれで方法論として面白いと思っていますこれは価値の抽出法という点では優れていると感じました。

UXに関する知識は、主に2000〜2004年頃が私のピークで、早いモノで10年くらい経過しています。この10年間で、比較的一般的な言葉となり驚いています。この10年で、UXデザインを専門に推進、勉強する人たちが増えていて、私はそういった詳細なUXの設計プロセスをきちんと追えていません。来年より新設される明治大学 総合数理学部 先端メディアサイエンス学科で授業や研究室を持ちますので、そういった点も勉強しつつ精進していきたいと思っています。

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1分でわかるUIとUXをわかりやすく説明する写真とお話

GOOD UI is not equal GOOD UX

GOOD UI is not equal GOOD UX

ユーザインタフェース

使いやすいように、
わかりやすい画面に、
間違えにくいように、
美しい情報デザイン、
丁寧な説明。

すばらしいユーザインタフェースができた。

ユーザエクスペリエンス

しかし、そのATMは少し時間がかかった。
結果的にお客さんは並ぶことが多くなった(気分を害す、イライラ)。

「お金を引き出す、預ける」という銀行の体験は悪くなってしまった。

解説(UIからUXが重要と言われようになった理由)

この場合、良いユーザインタフェースを設計できたとしても、並んでしまうことを問題として扱わなくなる。ユーザインタフェースの設計としては、最高のATMを提供することはできるだろう。しかしユーザエクスペリエンスからみると、最高の預金・引出体験にはらない。つまり、最高のUIを提供しても、ユーザの問題を解決したことにならない。だから「ユーザの体験という視点からUIを設計していこうよ!」という流れとなったのです。こうして企業にはUI部門はなくなり、たいていUX部門と呼ばれるようになっているわけです。

少し抽象的ですが、一言で言えばUXデザインは「UIを取り巻くコンテクスト(前後の文脈)からUIを設計すること」と考えてUI/UXの仕事上問題ないでしょう。(研究視点ではもう少し、UIによる行為の生成と循環みたいな話もできるでしょう)UXをデザインするためには「本当の問題」が何であるかという分析が重要になってきますね。だからその問題を見極めるために、観察やエスノグラフィー、タスク分析が重要になるんですね。

ちなみに、ATMの並んでしまうことを解決するには、たとえば

  1. わかりやすくて素早い動作のATMをつくる
  2. 必ず複数台設置する

ことで銀行の預金・引出ことのUXは向上するでしょう。

ただ、銀行のUXは「預金が少ない」といずれにせよ悪くなるかもしれませんね(笑

—-

追記:並ぶのが悪くない場合もあります。いつもまったく並ばないラーメン屋と、並ぶラーメン屋は、後者のほうが「わくわく」がありますね。また、銀行だって、多少並んでも、給料日の後と前では違う。など。この記事は、一時期流行ったUIのコーンフレークの例に感化されて書いたものです。(コーンフレークの例では設計に落とし込めないので例えにならない)

また、これは「設計」の話です。ユーザ体験そのものは主観で、扱いようがないで、体験の原因のことをここではUXと考えます。人を笑顔にすることがUXなど言われるかもしれませんが、UIから出発したUXは、製品やサービス作りをよりメタに捉えようとする、あくまで製品サービスの設計論であって、現状では笑顔自体や心象の話を直接設計する方法論ではないと私は思っています。もちろん、人間の計測手法の発展により心理心情の直接的な測定が可能になればその時はまた設計方法がかわるかもしれません。

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先端メディアサイエンス学科が就職に有利な理由

1年時からの研究室の活動成果(4年分) を
面接で上手く利用できる

これは先端メディアサイエンス学科だけのカリキュラムに秘密がある。やっぱり1年からのゼミ参加。

1年でもここででプチ研究プロジェクトをやっていく、成果発表会みたいなこと何度もやることになる。

それをちゃんと残していく「こういうことをやった、つくった」と。

これ4年間やるわけです。そうすると就職活動の時に「大学時代どういったことをやってきたか?」という質問に対して、とても魅力的なプレゼンができるわけです。「こういうことが問題でこういうアイデア思いついて、こういうソフトウェアやアプリケーションをつくりました!」とさらにソフトウェア公開して、多くの人に使ってもらえて、そのときの問題や考えたこと、さらに乗り越えたことを、面接の時に語れるんです。今なら、スマートフォンみんな持ってるから、就活の面談で自分のアプリ見せちゃうことだってできる。これは説得力高いし印象にも残る。悪いことは何もない。

どんなモノつくってきたの?

今私の所属している研究プロジェクトでもアルバイトさんを雇うときにこんなプログラミング言語やったことあります」って言われるより「これまでにどんなものつくってきたのか見せて?」っていうことの方が多いんですね。それで、「おおこれは面白い!これ一人でできるなら、これくらいできるだろう」って想像できるんですね。

大半の大学生はアルバイトがんばりましたとか、ボランティア活動とか、サークルとか似たり寄ったりの話をしてしまうんだけど、先端メディアサイエンス学科にいれば「大学時代どういったことをやってきたか?」っていう質問はまったく怖くない。むしろ、スマートフォンでいきなり「動かして見せましょうか?デモビデオお見せしましょうか?」みたいな状態になる。美大生は昔からポートフォリオ(自分の作品集)をつくって就活するんだけど、それにも似てるかもしれない。

これだけ書くと、今度は専門学校ぽく見えるとか言われそうだけど、かなり基礎的なところや教養は明治大学ですので、しっかりやっていきますから安心してください。

ちなみに、これは先端メディアサイエンス学科の特徴で、現象数理学科とネットワークデザイン学科は方針が違うと思うので注意してください。

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明治大学 総合数理学部 先端メディアサイエンス学科はどこまで数理なのか?

こんなことを東京女子大学の渡辺先生(以前の研究室の先輩です)にこんなこと言われてしまったので、ちょっと雑談を。

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明治大学 「総合数理学部」と聞いてイメージするのは「数学」ですよね?

あまりにも数学過ぎる。少しでも数学に抵抗があると「私には違うな」って否定されてしまいそうな名前ですよね。今回の記事は、少しだけ数学を保留にして総合数理学部の魅力が伝えようという内容です。明治大学としても、総合数理学部という名前をつけた以上数理を売りにしていく広報戦略です。数理としての売りは本家に任せて、ここでは「コンピュータ≠数学」ことなどをお話したいと思います。

総合数理学部と言いながらも、「文理融合型」です。受験科目見てください。数III 数Cなしでも受けられるようになっているのはそういうことです。(まだ過去問はないからどういう試験になるかは理工学部とか参考にするしかないですが)重要なのは入試より授業カリキュラムです。

コンピュータも数学も手段の一部。問題はその先の「アイデア」にある。その先のアイデアをどうつくるか。それを学ぶのが先端メディアサイエンス学科。

総合数理学部というと「プログラミングするイメージゼロ」に一瞬思えるけど、逆に先端メディアサイエンス学科は、むしろほとんどプログラミングで、ソフトウェアやモノの設計について学んでいくんです。数学もパソコンと同じ道具という位置づけです。数学の研究をしていく学科ではないです(やりたければ当然できますが)。共通点はあっても現象数理、先端メディアサイエンス、ネットワークデザイン、やること全然違ってくると思います。

受験生のみなさん、総合数理学部だからと言って、先端メディアサイエンス学科は「純粋に」数学系と思わないようにして欲しい。むしろデザインやアートに興味もっていたりしたほうがいいくらい(ちょっと極端かな)。あえて先端メディアサイエンス学科という名前が付いて新しくはじまるわけなのだから、設立と学科の意味が明確にあるわけです。どういう経緯でできたかは、たとえば宮下先生の記事も参考になると思います。

「問題を発見できる知識や洞察力」「アイデアを具現化できる能力」「問題解決のための設計ができる能力」が身につく学科だと思って欲しい。卒業する頃にはプログラミングで思いついたことさくさくっと具現化できちゃうようになる。

「数理」って聞くと、デザインに興味のある人はよりつかなかったりしそうだけど、先端メディアサイエンス学科は3つの学科のうちでも、自分が文系と思うような人も大歓迎。自分はどちからといえば文系なんだけどものづくりやデザインに興味があるっていう人はぴったりかもしれない。プログラミングって理系のイメージかな。だとしたら、誤解。プログラミングと数学は全然ちがう。数学を使おうと思えば、使えるけど、数学使わないでも多くのソフトウェアはつくれる。プログラミングで重要なのは数学じゃなくて論理的思考のほう。でも論理的思考は高校じゃあんまり訓練しないから大学にきてからでも大丈夫。

総合数理学部というように数学に強いの先生が学部としてたくさんいるのも事実です。数学によって物事を捉えて、さらにプログラミングのアルゴリズムに落とすようなことをしたい人は心強いかと思います。またコンピュータと数学を結びつけることで、高校までの数学は半分受験のためでしたが、実際に数学を役立てられる場面もでてくると思います。そういう意味で、数学が少し苦手だった人も感覚が変わることだってあるでしょう。

先端メディアサイエンス学科の軸はプログラミング。おそらく、数ある大学の中でも相当丁寧にプログラミングを教える大学になると思う。宮下先生や福地先生がそこは相当意識しているから、安心していいと思う。

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明治大学 総合数理学部 先端メディアサイエンス学科で何が学べるか

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前回、2013年4月より 明治大学 総合数理学部 先端メディアサイエンス学科の専任講師として着任とお知らせしました。

新しい学部学科のため、「一体何をやるのかよくわからない」というお話もたまに目にします。というわけで、何が学べるのか、なぜ先端メディアサイエンス学科行くべきで、将来どうなるのか。ということを主に箇条書きで書いてみたいと思います。

(これはあくまで私が現在考えていることの一例です。入学してきた学生と共に「やりたいこと」「問題意識」を共有しながら、実際には進めます)

時代背景と要求

  1. 世界の「もの作りの方法」が、ソフトウェアとハードウェアの融合になり、むしろソフトウェアが重要になっている。
  2. ソフトウェアが重要になったため、たとえば画面のデザインの「使いやすさ」や「美しさ」が重要になっている。
  3. たとえばスマートフォンの画面設計は工学部を卒業すればできるものでもない。(教える学部は極めて少ない)
  4. その一方で、こういったスマートフォンの画面の設計を芸術ではなくキチンと設計できるエンジニアや心理学者が求められている。
  5. これはスマートフォンに限らず、ウェブページの設計も芸術ではなく設計できる人材が求められている。
  6. 「もの作り」なのに、人間の認知や心理を知りながら「使いやすい」「心地よい」ことを考え設計できる人が求めらている。
  7. 常に人間を相手にする(部品や機構ではない)
  8. 将来的には画面の設計以上、プロダクトデザイン能力、機構といったことをふくめて、全く新しい仕組みをつくる。
  9. 理系でも文系でもない。そういう区別の時代は終わったと思ってください。
  10. インターネットは携帯も含めて、2000年以降に普及。ネット前提の発想でもの作りを教える大学は少ない。
  11. IT革命という言葉はもう古いかもしれませんが、まだ革命の最中。最新の社会の問題に対する新しい基礎を身につける必要。

人物像

人間に対する深い洞察、分析や知見に基づき、新しい道具やシステムを設計(デザイン)できる。新しい価値の製品や、サービスを自ら作り、それが社会や人間にどういう価値をもたらすか提案できる人物。スキルはプログラミングを中心に、ちょっとした電子工作から、プロダクトデザイン、グラフィックデザインまでできる。常に人間を相手にする。(もちろん人によって何を中心とするかは興味による)

話す見せる→動かす

「こんなアイデアどうだろう?」絵と言葉で提案するのではなく、実際にさくっとものを試作して、「こんなアイデアどうだろう?」と提案できる人物となり、言葉によるコミュニケーションを超えた新しいコミュニケーションスキルによって問題の早期発見と的確解決を行えるようになる。(先端メディアサイエンス学科では、試作とプレゼンテーションスキルの徹底な向上目指す→デモンストレーション精神、話すだけない→見せるだけでない→「動かす」をモットーにする。)

たとえば、こんな状況を考えよう。スマートフォンのような画面を設計するのに、「こんな感じに画面がバァーット動いて、ピョンと跳ね返って」では設計はできない。体験もできない。だから話すかのようなスピードでさくっと試作してしまい、それを動かしてみせる」。そうすると共有される。みんなが理解できる。コミュニケーション能力は英語や日本語だけではない。(ちなみに、スマートフォンの例が多いけど、スマートフォンの設計をする勉強するわけじゃないですからね!これからのメディアは内部的にも見た目的にも「動く」ので動きの設計が必要なのです。それを設計するにはこういった新しいコミュニケーション方法が必要なのです)Demo or Die (デモできないなら帰っていいよ)という文化がアメリカのマサチューセッツ工科大学のメディアラボにあります。それに似たものを継承します。

卒業後と活躍

家電機器、自動車などメーカーを始め、インターネットサービス系、巨大産業となっているビデオゲーム制作会社、紙媒体から電子媒体に移り変わる、出版業界や、広告業界などで、未知や未踏の領域、新しい問題に対して、新しいアイデア、価値を具現化して提唱し、産業を導ける人材となる。

先端メディアサイエンス学科で学ぶことをイメージするための参考資料

takram 田川欣哉に学ぶ、《デザインエンジニア》の仕事と思想。[前編]│CAREER HACK
http://careerhack.en-japan.com/report/detail/17

takram 田川欣哉に学ぶ、《デザインエンジニア》の仕事と思想。[前編]│CAREER HACK

今の世の中、抱えている問題が非常に複雑になっているので、いきなり正解にたどり着ける確率はゼロに近い。僕らがいかに専門家で慣れているテーマだったとしても、最初に出す答えはたいてい間違っているんです。そういう複雑な状況の中でどうモノづくりを前に進めていくかという時、プロトタイプを作って実際にユーザーに使ってもらったり、それを見ながらみんなで議論をすることはとても有効なんですね。

私自身、今回こういったことを初めて書いてみたので、これからもうちょっと洗練したり追記していくつもりです。質問などあればtwitter @100kw で気軽にどうぞ。次回の記事は渡邊研究室で何をやるかという話にしたいと思います。

メンバーで先端メディアサイエンス学科の特設サイトもつくっています。こちらは集まっている教員が掲載されている記事やプロジェクトなどを集めたものです。

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2013年4月 東京中野にインタラクション系研究拠点をつくります。明治大学専任講師として異動します

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2013年4月より明治大学 総合数理学部  先端メディアサイエンス学科に専任講師として着任します.研究室もできます.

着任メンバーはこちらの特設サイトにて。

取り急ぎ、告知まで。みなさま今後ともよろしくお願いいたします。


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    「iPhoneはなぜ気持ちよいか?」記事を書きました。

    telescope

    東京エレクトロンスポンサーのテレスコープマガジンがヒューマンインタフェースを特集しています。イントロダクションでは、水野さん監修のヒューマンインタフェースの年表もあり、暦本先生と真鍋さんの対談記事や、エイドリアン先生、苗村先生、そしてウィノグラードの記事など、ものすごい濃い特集です。

    そして、その中にトピックスとして「iPhoneはなぜ気持ちよいか?」という記事を書かせていただきました。

    内容としては、私が以前に開発したVisualHapticsをというシステムを紹介しながら、自己帰属感をキーワードに、iPhoneの気持ちよさについて論じたものです。iPhoneの気持ちよさをアニメーションや美観の良さと捉える人が多いかもしれませんが、自己帰属性が高いから気持ちが良いという展開になっています。ぜひ、ご覧になっていただけたら幸いです!

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    インタフェースデザインやインタラクションデザインがなぜ重要か?

    はじめに

    人が関わるものすべてにインタフェースがある。そして、インタフェースは人の行為をつくる。あるいは「行為に影響するように物の設計を考えることがインタフェースの設計」と言えるかもしれない。

    行為は人の経験をつくる。連続する行為は活動つくり文化をつくる。だからインタフェースは重要である。人にとってこんなに本質的で、文化にとっても重要な現象を、なぜもっと注目しないのだろうか。インタフェースに人類の未来があると言ってもいいほどだ。

    この文章は、インタフェースやインタラクションだけにフォーカスし、その視点から、それがいかに重要であるかを記述する試みである。

    *書いた後に思うことは、僕自身はインタフェースはコンピュータから外に向かっていて、コンピュータの中を操作すためのものじゃないこと。だからこんな発想になる。でもこれはユビキタスコンピューティングや実世界指向など一連の思想の流れの結果だとは思っている。

    1.インタフェースは人の行為を生成する。

    インタフェースの設計者が実際に利用者に提供するのは「物」である。ただしインタフェース設計において「物」は媒介に過ぎない。物は必要だが、設計の目的ではない。人がどこを見て、どうそれを持つのか、どう操作していくのか、を設計するのがインタフェースの設計である。目的は人の知覚や行為を設計することである。パソコンのキーボード、マウス、任天堂のWiiリモコン、AppleのiPhoneやiPadのマルチタッチ、 MicrosftのKinect、いずれも新しい行為を生み出している。インタフェースを「入力・出力」と発想するのは機器を中心にした発想であり、ごく一部を切り取った話でしかない。インタフェースとは「人の行為の話」なのである。だから行為がどう生まれるのかを考えなければならない。

    人の行為というものは、具体的な環境(物)とセットで初めて生まれる。地面がなければ「歩く」という独特な行為は生成できない。泳ぐということだって、水が提供されなければその独特な行為は生み出すことはできない。地上でクロールしてくださいと言われてもクロールの真似はできるかもしれないが、泳げない。人の行為のすべては環境によって支えられていて、すべてその中で起きる現象である。行為と環境はセットである。そして、どんなものであれ物が提供されると人はそれに対して関係を持ってしまう。つまり行為が発生してしまう。そこにはいいことばかりでなく、危険も含む。だからこそ人にとって環境の一部となるプロダクトすべてのインタフェースの設計は、常に重要である。

    2.行為は人の体験や経験をつくる。

    「やった」という行為の結果は経験である。ユーザエクスペリエンス(以下UX)というキーワードがインタフェースやインタラクションデザインの分野とセットになっているのはそのためと言っていい。UXは、快適に使えるインタフェース(良い行為)であったとしても、全体としてみたときにそれが良い体験を得られるようにしなければ意味がないよね、という発想だ。たとえば優れたインタフェースを持つATM、優れたナビゲーション、音声ガイドで、何をするにも迷わずわかりやすいようなものが設計できたとしよう。しかし、インタフェースは迷わず明瞭だが、それによって1回の接客時間が長くなり、ATMに長蛇の列ができてしまっては「お金を引き出すという体験」は良くないものになってしまう。ディズニーランドも個別のアトラクションは面白いものを提供しても、混雑している、並ぶなどの問題が発生し、「ディズニーランドという体験」としては良くないものになる。ディズニーランドはもちろん、それを考慮して、並んでいる最中からアトラクションの一部とするように設計するなど、人の体験を総合的に設計していると言える。少し話は逸れたが、UXは少なくともインタフェース設計されたもを利用している最中の前後の文脈までも包括して設計する考え方である。すなわち、人の行為は連続していて生涯途切れることがない。だからある目的に対する一連の行為群を体験として定義し、それを設計しようというのがUXの根幹だろう。だから、メーカーや設計者は物に捕らわれていてはいけない。目的を設定しそれをひとつの区切れとしてあとはその目的に対する行為群を連なりスムーズにする設計をしなければならない。たとえば、Appleは「音楽を聴くことの最高の方法、体験」のような主張をする。

    3.行為群は体験であり、人生である

    私たちの生活は膨大な数の人工物に囲まれている。今、あなたのいる位置から周りを見渡してみてほしい。ほとんどすべて誰かが設計したもの中で暮らしている。人生はその中で繰り広げられる。多くの行為はつくられている。多くの体験もつくられている。そして、それはますます広がる。多くの時間をPCや携帯電話に向かって過ごすようになってきた、すべての操作方法は設計されたものである。その善し悪しで人の時間の質は変わっていく。インタフェースを設計する者は、人の行為を生成している、時間をつくっている、人生をつくっている。

    こういったことを「私たちがそういうものに支配されている」と感じてしまうかもしれないが、そうではない。これは支配ではなく原理と考えた方がいい。つまり行為は環境とセットであるためだ。

    4.行為は活動を産み、文化を生成する。

    iPhoneのマルチタッチはあのタッチパネル技術は必要だが重要ではない。もっと重要なのは、タッチ操作の作法である。どうやってズームさせるか。たとえばピンチ操作でズームインしたりズームアウト。これは作法であり、文化である。国によって色々な挨拶がある。いわばそれを最初に決めてしまうくらいインパクトがある。iPhoneとAndroidでタッチパネル状のタッチ操作の作法は必ずしも共通ではない。またMacOS Lionからは、スクロール操作が逆になった(設定は変えられるが)。これによりWindowsと共通だったスクロール操作が異なるようになった。私はMacを使っているので、Lionの作法に慣れようと思って、しばらく使っていて比較的すぐに慣れて今は迷いがない。しかし先日Windowsを利用した際に、困ったことに、まともに使えないのである。

    このように直感的な方法を発見し、作法として定義していくことは、インタフェース設計の仕事であり、日常へのインパクトは大きい。こういったタッチパネルの作法は比較的すぐわかる例であるが、目的や結果は同じでも、異なるインタフェースやインタラクション(関わり方)によって世界観、体験、人生は大きく変わってしまう。たとえば、海外へ行ったときの経験がまさにそれである。先日フランスに行ったときに感じたことだが、鉄道というものは日本にもある。しかし切符を買うというインタラクションが異なる。たとえば改札がなくタイムスタンプだけの鉄道もある。

    インタフェースやインタラクションは行為を生成する。そしてそれにいつか慣れる。これが文化をつくりだす。今や文化の多くは、インタフェースやインタラクションの設計が暗黙的つくりだしてしまった作法によるところも大きいのではないかとも感じなくもない。

    5.まとめ

    インタフェースやインタラクションはあらゆる複合技術の「できる」要素の上になりなっている。それなしに語れないところはある。しかしどんな技術も「人が使う」ことをターゲットにしている限り、インタフェースは極めて重要だ。それは繰り返し述べてきたとおり、インタフェースは行為の方向性、質を左右させる。しかもそれが比較的長く使われるものになれば、経験や文化にも影響してしまう。エンジニアリングの議論では、こういった行為の発生源としてのインタフェースという風に議論することが、どういうわけかほとんどない。日常の文脈においてのそのプロダクトなりサービスの接点がどういう人の行為、行動、活動を生み出しているかという点でインタフェースを設計していく話をあまり聞かない。インタフェースが行為を生成するからこそ、この業界はエスノメソドロジーによって日常生活で人がどういう行為を発生させているかを注目している。エスノメソドロジーによって発見した日常の暗黙的な行為の価値を、インタフェースに適用し、そこから新しいサービスなり技術をつくっていく、それがトレンドだったりする。でもそれは2000年くらいからはじまっている。インタフェースが行為を生成するものであると捉えることができれば、インタラクションやインタフェース設計の流れや、何を学ばなければならないかも見えてくる。今回書いた理由は、もうちょっとこの手の方向で分野を盛り上げたいと思ったことと、企業もおそらくこういったインタフェースの考え方は持ち合わせないように思えてたから書いてみている。

    6.おわりに

    コンピュータは01の羅列の表現でしかなく、多様な表現が可能なマルチメディアである。アランケイはこれをメタメディアと言った。まだ見たこともない、道具でもないあらゆる表現が可能な装置であり、非常に高い表現の可能性があると言った。しかし、まだ我々はコンピュータやしかもネットワークにつながったそれが「何」であるのかをわかってない。計算機によってどれだけののことが表現可能であるかのポテンシャルもまだ把握できていない。コンピュータが価値を発揮するのは、「人間がどう定義するか」ということが大きい。これは、計算機である、文書書く装置である、楽器である、絵を書く装置である。これらはかつての人類の文化を表現したことである。しかしコンピュータはそれ以上のことができる。インタフェース研究者はこの定義を探る者とも思える。今現在、インタフェース系の学会でたくさんの試作が行われているのはそのためでもある。コンピュータがメタメディアであるから、その定義のバリエーションを探っているのである。しかもコンピュータの処理能力が劇的に高速化している時代の中で、である。正直、毎年似たような提案も数多い。しかしそれでもバリエーションが足りないと思う。また、プロトタイピングの重要性が数年前より言われ続けているが、この風潮も、コンピュータの技術がメタメディアであるから、実装して体験しないことには検証できないのが理由に思う。コンピュータの価値を定義していくのは、人間の想像力そのものである。これからは「メタファを抜きに」コンピュータの価値を定義していく、それがコンピュータという技術への課題だと思う。

    インタフェースが行為を生成するものと書いてパブリッシュしたものは、InterCommunicationsの記事が最初。興味をがある人はそちらを参照してください。

    余談:本当はこの文章にもっとリファレンスを入れながら書いた方が、より強い文章になるのだろうけれども、それはまた今後の自分の課題とさせてください。

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    不思議アートグランプリ入賞「TextureWorld」

    TextureWorldが日本不思議アート協会主催「不思議アートグランプリ」にて入賞しました。東京タワーで開催中の不思議アート展内にて展示中(とりあえず5月まで)です。

    TextureWorld

    タイトル「TextureWorld」
    物の境界を私たちはどう知覚しているのか?
    知覚世界の本質を体験するために試作したアートムービーです。
    世界は肌理でてきています。
    そして人間は動くことで世界を知覚しています。
    動くことによって「縁」が現れ、それがモノの境界となっています。
    完全に静止してしまえば、世界は知覚できなくなります。
    私たちは静止していることのほうが「ふつう」に思っているかもしれませんが、
    「動いている」ことのほうが「ふつう」なのです。
    生きている限り動物は動き続けます。動きながら世界を体験します。
    だからこそ世界は知覚できるのです。
    動画を停止した瞬間、そこにあった世界はノイズの中に消えなくるかのように、知覚世界は崩壊します。
    ですからこの作品の「サムネイル」画像はまったく意味を持ちません。
    動いていることが知覚世界を成立させていることであることを是非多くの人に体験してもらいたいと思っています。
    作品は2分40秒のランダムノイズをベースにした2次元的グラフィックが音楽に合わせて動くショートムービーです。
    液晶ディスプレイにムービーがループ再生されます。
    鑑賞者は、ディスプレイの前に用意されたボタンを使って任意のタイミングでムービーを「停止・再生」します。
    停止するとそこに見えていた物体の輪郭が「見えなく」なります。

    物の境界を私たちはどう知覚しているのか?

    知覚世界の本質を体験するために試作したアートムービーです。世界は肌理でてきています。そして人間は動くことで世界を知覚しています。動くことによって「縁」が現れ、それがモノの境界となっています。完全に静止してしまえば、世界は知覚できなくなります。私たちは静止していることのほうが「ふつう」に思っているかもしれませんが、「動いている」ことのほうが「ふつう」なのです。生きている限り動物は動き続けます。動きながら世界を体験します。だからこそ世界は知覚できるのです。動画を停止した瞬間、そこにあった世界はノイズの中に消えなくるかのように、知覚世界は崩壊します。ですからこの作品の「サムネイル」画像はまったく意味を持ちません。動いていることが知覚世界を成立させていることであることを是非多くの人に体験してもらいたいと思っています。

    作品は2分40秒のランダムノイズをベースにした2次元的グラフィックが音楽に合わせて動くショートムービーです。液晶ディスプレイにムービーがループ再生されます。鑑賞者は、ディスプレイの前に用意されたボタンを使って任意のタイミングでムービーを「停止・再生」します。停止するとそこに見えていた物体の輪郭が「見えなく」なります。

    以下画質はあまり良くありませんがYoutubeでも体験できます。縁が現れた後、一時停止をして見てください。なおBGMがあります。(以下で見ると、一時停止するとタイトルが現れてしまってよくないですね。Youtubeのサイトに飛んでから見たほうが良いかもしれません。(表示サイズ大で)

    途中、奥行きすら感じたり、動きまくって明らかに縁が見えるのですが、やはりそこで停止すると見えなくなる。自分でも不思議に思う。

    (この作品は、大学授業にてJ.Jギブソンの生態心理学の視覚世界捉え方の例として2008年に制作したものです。また、この前身として、スクロールにて体験する作品(2002年)も公開しています。

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    • 渡邊恵太

      インタラクション の研究者。

      明治大学 に開設される 総合数理学部 先端メディアサイエンス学科の准教授。近著に「融けるデザイン -ハード×ソフト×ネット時代の新たな設計論

      知覚や身体性に基づくインタラクションや、生活時間に溶け込む次世代メディアインタラクションの研究。

      2004年くらいからたまに書いてるブログ。

      現在のプロジェクトはWebトップページを。